介護保険に負けた、「福祉」

福祉 には哲学が必要だ。

感情的であるということは、物事のきっかけであり、帰結する場所である。

人は理性や知性で動くものではない。
それらは常に事後的に解釈される。物事の起こった原因は、感情的な、理屈ではない気持ちから生じるものである。
感情から発動された行動が、後になって考察され理性的に修正、改善されることはあるであろう。
しかし、その大きな方針においては感情から発動された方向性からそれる、ということはない。
 
確かに、感情的な言動は諍いを呼び争いの種になる。
そこで、人間は感情を理性の知性を用いて形、表現を変え、相手に伝達する。
しかし、その根源には常に感情から生じた方向性、方針がある。
 
それは、正しさや正義では解釈はできない。
感情には、最も正しさや正義は似つかわしくはない。
それらは、理性や知性の中に存在する概念であり、感情の中には、至極単純な。
「快」と「不快」というものがある。
 
自分が存在している。
生理的な現象以外で、人が動く理由のほぼ多くはこの、
「快と不快」が常に振幅しているものである。
最終的な決定は、理性や知性を通した後の言動であろうが、
繰り返すが、その根源には感情を司る「快と不快」がある。