介護保険に負けた、「福祉」

福祉 には哲学が必要だ。

慈しむ、そのわけ。

「人生に意味はないんです」と言えば簡単だけれども、
それで満足できるように人間はできていません。業というものなのかもしれませんけれど。
この点において、人間は人間以外の動物よりも下等な存在であると思っていると同時に、
人間性という意味で、慈しんでいます。

宇宙の始まりがわからないのだったら、
この宇宙は真実として始まっているのか。
真実に触れられないけれども、その真実を求め続けて。
意味がない、という自体に納得ができないのは、その意味のないことを証明もできないから。
けれど、意味があるという確固たる証明もない。
だから、追求するんだけれども、どちらも真実であるというところへ集結する。
けれど、それだとどちらも真実ではなくまがい物であるということとイコールになる。
この「矛盾」が、絶対性や真実と異なる、と理解すると、ややこしい迷路に入り込む。

「矛盾こそが真実である」と仮定してみる。
そこで、人間は、仮初めの安堵を得るのかもしれないけれども、
やはり普遍性や絶対性を求めて、心がソワソワしてくる。

矛盾、曖昧さ、というところに安住できない性分が、命にはある。
人間以外の動物が、明日の食料を確保できる補償が欲しいかのごとく、
人間は普遍性や完全であることを夢に見る。

絶対性というのは、命の補償なのかもしれない。

無い、ということは 有る に依存するし
有る、ということは 無い に依存する。
この事を認知しているのは「自分」であるとすると、
自らを離れ、離れ、自我を滅し続けてなお残る残骸、それさえも片付けてまっさらにする。
そうするとね、阿呆が出来上がるんです。