介護保険に負けた、「福祉」

福祉 には哲学が必要だ。

介護職の強み、とは。

僕が介護職員となって、早数十年という感じ。

その後の相談援助職という職種に10年を欠けるくらい。

 

まぁ、僕の中では介護職も相談援助職も同じようなものを目指す職種であると思っている。

その人の望む暮らしを目指して支援を行う。

という、文章にするとかんたんだけれどもイヤに途方に暮れるような作業になる。

 

各個人で価値観もバラバラであるから、

明確なエビデンスなんてない。

 

多職種連携とか言うけれども、

カンファレンスの場で話される言語は、明確化されたエビデンスに基づいた事実。

これが一番説得力があるし、

専門的な意見というのも科学的統計的に裏付けられた意見が映える。

であるから、

介護職、相談援助職というのは、

そもそものエビデンス、科学的統計的な裏付けの無い、各個人の在り様に応じてこちらの態度も変化させるという曖昧さが性分であるし、ウリでもある。

だから、

多職種連携の上でのカンファレンスの場面では、

介護職、相談援助職というのは、一歩下がった意見しか言えないことも多いのではないだろうか。

エビデンスに基づき自分の専門性に自身を持って、揺るぎない意見を言うということは、

介護職、相談援助職においては、未熟とも言える「思い上がり」でもあり得るのだから。

「自分の意見は、最も正しい代弁機能を経た意見である」という(誤解)。

今日のクライエントと、明日のクライエントは、

同じ人であるけれども、違う意向を持つ。

それを一般に、成長と言ったり疾患と言ったり、困難なケースと言ったり。

 

自己決定ができているから、日によって言うことが変わるんだろう。

気持ちも変わるんだろう。

誰かの他律的な意見に影響されていれば、その他人が関与するまでは変化なく暮らすのであろうけれど、

自立した個人は、自分の意見と意思で考え結論する。昨日とは異なる結論になる。

「あたりまえ」

なんだ。それを受け入れ、人間であるからこそ一貫性もなくゆらぎながら迷いながら。

自分でもわからない自分を扱ってか、扱われてかして、暮らしているのだ。

 

「本当の自分の気持ちは?」

 

こんな漠然とした問いに明確に的確な答えをデキる人なんて、そういない。

 

とかく、

介護相談援助職以外の職種は、ニーズの変化に弱い。

付き合い続ける根気の部分で。

介護相談援助職は、「よくあること」と、再度傾聴できる性質を持つ。

 

で、

何を言っているのか、だんだんわからなくなってきているんだけれども、

こんな、曖昧な意味のないような文章の羅列こそが、意味そのものであったりしてね。

わざと意味深なことを言っているけれど、感性のままに感じてもらえることで、誤謬なく君と通じ合える、

そう、思うっているんだ。

 

P.s 昨日、思い出した。素敵な時間と素敵な