介護保険に負けた、「福祉」

福祉 には哲学が必要だ。

家族の思いの、尊さと。

最近、ターミナル期に関わらせていただく事が増えた。
とある日、初回アセスメントにてガンの末期と診断され自宅療養されているご本人とご家族にお会いする。
訪問すると、ご本人は寝ているとの事。
そこで、まずはご家族と日ごろの療養のされ方などを尋ね、情報を確認する。
あらかたお話し終えたころに、ご本人が起きた様子とご家族から教えてもらい、
ご本人にお会いするが、けだるそうに頷き挨拶をしていただけた程度であった。
.
なんとなく、飾られていたカレンダーに目をやると、
急速に体調が悪化してしまったという10日前くらいの日付の所に、
「 お父さん、早く良くなってください 」
という別居されている娘様らしき、筆跡。
.
自分の姿勢が、問われる。
大勢の中の一人として、さっきまで対峙していなかったか。
年末の、慌ただしい一年中で最も忙しい時期の訪問に、気のゆるみや焦りがあったのではないか、
.
訪問を終え、玄関を出た外はすでに暗くなっており、
冷たい風が相変わらずふいている。
「 なにができるか? 」 って、考えながら、
携帯電話を取り出した。
.
あるような、うその話。

老いを支援する、力。

日ごろ自分たちが「老い」という自然な現象に包まれたクライエントと対峙している。

老いは疾患ではなく治療の対象になり得るものではなく、不可逆的な進行性の状態である。

老いに伴って、誤解を恐れずに言えば、人は得るものよりも失っていくもののほうが多い。

若さを憧れ、若さだけで「あなたはいいわねぇ、若くって」というクライエントの言葉は、臨床家や援助者ならば多く聞かれる言葉であろう。

確かに、思想的には得るものもたくさんあると「教えられる時代」である老年期において、

事実は「失い続ける時代」であるともいえるのかもしれない。

少なくとも、そう思っている人と、僕は多く出会ってきた。

 

僕が、最近の関心ごとは、この治る見込みのない状況にあるクライエントに対して援助し続けるという難業は、

どういう動機から継続する力が出てくるのだろうか、というどうしようもない疑問である。

仕事として継続できるということは、何かしらの有意義さを感じているはずである。

それは、

達成感、恍惚感の一般は、「物の完成」「研究の成功」「事業の成功」つまり、

行動による結果に満足するという、具体的もしくは顕在的な事実によって体験されている。

しかし、援助者のそれは、上記のようなわかりやすい事柄として現れたと思えたことは、あまりない。

援助者から「ありがとうの言葉が何よりもうれしい」と聞く。

それはやりがいであると聞く。

しかし、そのクライエントはいずれ自分たちよりも先に「逝く」ことが自明である。

 

人生の終末時期に、そのクライエントに沿い続けられること。

そのために、援助者として何がその続けられる力になり得ているのか、関心がある。

 

老いに対して喪失感に包まれている。

治らぬ病気に対して悲壮感に包まれている。

そんな人々を目の前にして、何もできない自分に強い無力感に襲われる。

こんな人がいた。

そんなように、人の介助がないと動くこともできないクライエントが、

いつもの介助を行ったら「ありがとう」と言ってくれた。

僕は、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

なぜに、ありがとう、なのだろう。

あなたはできない、わたしはできる。

だから、わたしのできることを、あなたに提供する。

至極自然な動機だし、特別なやさしさでもない。

あなたの言った「ありがとう」は、あなた自身が老いという障害を負って、申し訳ない気持ちでいる証左でもあるんだろうか。

そうだとしたら、そう感じさせているのは、僕ら「老いる前の存在」なのだろうか。

 

何も格好つけることを言いはしない。

なぜ、援助者は「老い」や「不治の病」と対峙するクライエントを前に、

援助を提供し続けられるのか。

それは、「困っている人が目の前にいて、放っておけないから」という、

まったく科学的でもない、ノウハウにもならない、精神的に救いにもならない、

惰性的な慈悲の連続に、あるんだと思う。

親への愛情が形にならぬ時。

家で看取る事を第一の希望にされていた、娘様。
しかし、ご本人の状態は入院先の病院で悪化し、娘様ご自身だけならともかく、
他の家族の事を考えると、とても在宅に復帰でいるような状態ではない。
.
今まで頑張ってこられたご家族。
言葉はきつくて、ぞんざいな言葉も聞かれたけれども、
実は親の事が大事で、少しの私たちの連携の失敗も理由を問いただされた。
.
「自宅で看るのを諦めたのよ」
と、明らかに自責の念に駆られた娘様のお気持ちに、
精いっぱい考え抜かれた事。
今もおつらい気持ちでいる事こそが、愛情の深さである事。
そんな、事柄たちをお伝えして、電話を置いた。
「良い悪いがどこにあるんだ」
「正解なんてどこにあるんだ」
.
さて、
午後の訪問の時間。
約束の時間に間に合うかな。。。

小論文の書き方~個人的な作法~

小論文を書く時の、セオリーのようなものを、徒然と書いたりする。

全く個人的な見解だし、かつて学生の頃に何かの親書を一冊読んでそのまんまになっている知識の状態で書くわけだから、だらしない。

 

必要なもの。

 

① テーマ(訴えたい内容、主張)。

② そのテーマに沿った学問上の定説(あればなお良い)。

③ そのテーマに沿った「実体験」

④ 社会的に有意義である事で結ぶ。

 

これら、特に、①、②、③についての準備をできれば、終わったも同然なんだと思う。

②、③にいては、「題材」と呼ぶ。主張する事を裏付けるためのミソのようなもの。

 

 

それぞれに、少しずつ解釈を加えていく。

 

① テーマ

★ 学校や試験から、「課題」として与えられる場合もあれば自由設定(会社の企画書のような)の場合もある。

「課題」として限定されている場合には、少し窮屈な思いをする。その課題は、大きくは狙う資格やカリキュラムから逸れている内容ではないであろうから、日頃からの「自分はなぜこの学部(資格)を取りたいのか、という自問自答をしている必要が、多少ある。

この場合に、まずはすることは、

テーマに沿った社会的に有意義な主張を、考える。」

例えば、60分で論述せよ、という時間制限があるとしても、この主張の内容をどう言ったものにするか、それを裏付けるための題材(②③)はどんなことがあるか、に対して15分間くらい時間を掛けてもいいくらい、大事な点である。

ここをボヤ~っとさせたまま論文を書き始めると、何を言いたいのか支離列滅な論文が出来上がってしまう。「要注意」。

思いもかけない方向からのいきなりの課題に対しては、驚かずに、そうなったとしたら自分はどう思うんだろう、、、という想像でも主張としては十分であろう。

この場合、②の学問、学術的な裏付けにあたる定説は言及できないかもしれないけれども、説得力向上のために論点を少しずらして、どこでも、どんな状況下でも通用する「より良く生きたい」「より幸せを求めたい」「不安なく暮らしたい」等の、人間共通の感情に基づいた学術的解釈を混ぜてしまってもイイ。

きっと、ポイントは「~~について論ぜよ」と言われていようが、意外とそれについてだけ論じている論文は、②以降の題材にあたる内容は特に①で示された狭いテーマを逸れている事も多いはずである。

 

② そのテーマに沿った「定説」

★ ①の主張を、さも正しいと読み手に思わせるために、「これから主張することは自分だけが思っている事ではありませんよ」

と思ってもらう為に、誰かエライ先達(先人)の知識を拝借するという題材を用いて書く。あくまで誰かの主張なので、ピタッとはまる場合もあれば、初めからはピタッとはまらずに、若干の自分の解釈を混ぜてしまって自分の主張することの裏付けにしてしまう場合もある。

 

③ そのテーマに沿った「実体験や経験に基づいた題材」

 

★ ②が誰か他人から拝借してきた①のテーマを納得させる題材であるとしたら③はオリジナルの自分の経験からも①のテーマを主張できることのアカシになるような部分。

難しいようで、実は意外と簡単だ。①のテーマに沿うようなエピソードを自分の経験から探し出し、①のテーマに沿うように解釈してしまえばいい。時に、その時代に気付いていなかった内容であっても、こじつけてしまってもいいだろう。

自分の論文であるのだから、自分の体験を題材にしないと、きっと評価は落ちてしまう。誰かのふんどしで相撲を取らないように、ここの③で言葉キレイに、力強く「やる気」「自分らしさ」「熱意、熱さ」を相手に伝えられたら、ナイスだと思う。

 

④ 社会的に有意義であるという点で、結ぶ。

 

★ 論じている事が、独りよがりで自己中心的、マニアックでは有意義な論述ではない。ある程度万人に通用して、社会に貢献できる為に、この主張は正しい(有効)なのだという持論で結びたい。

多くの学問が何故あるのかというと、それは社会に有意義であるからだ。この点から逸れた論文は、価値を大きく失う。ニッチなものとなり、得点には至らないこともあるかもしれない。

であるから、「テーマに沿った社会的に有意義な主張」をまずは、考える。

そして、

「自分の主張は、社会に有意義であることを論じました。」

という体で終える。

 

難しいかなぁ。。。

 

 

ふ~。

とある方への、メール。現実社会への確認事項。

●●●●様

はじめまして。
かねてから疑問に思いつつ、あきらめるしかないのかなと思っていることを書かせていただきます。
私は高齢者福祉に従事しております。
高齢者福祉では、主に介護保険サービスや各自治体による多様なサービスで、高齢者を支えております。

しかし、これからの日本を考えるに、特に人口構成比の推移を鑑みるに、
日本の将来に楽観的なイメージを持てません。
参考までに人口の推移のURLを貼らせていただきます。
ttp://www.mhlw.go.jp/seisakunitsuite/bunya/hokabunya/shakaihoshou/dl/07.pdf
この超高齢社会で、年金がもらえない、高齢者の負担が増える、など、
色々と騒がれるのですけれども、
正直に申しまして、高齢者福祉に携わる私の実感として、
日本を維持するためには、高齢者の生活の質を落としてしまう事もやむを得ないのは自明ではないでしょうか。
私の業界では、みな恐くてこのような事を言える事はないのですけれども、
先のリンク先のように、生産人口に対する高齢者の人口を考えれば他の選択肢が思い浮かびません。
このリンク先の生産人口は15歳からとなっておりますから、正確には高卒や大卒の社会人一人に対する、高齢者を支える比率はよりシビアになります。

今の高齢者は、年金暮らしで大変であるとかお話しされる人もいるかと思いますが、
幸い持ち家を持っていらしたりされているのではないでしょうか。
私は現在40代でありますが、
私が高齢者という定義である65歳になるときには、若い方2人で私一人の年金、医療費、介護費を支えていただかなくてはいけません。
こんなの、どう考えても無理なのです。
ひとは自然の生き物ですから、老います。
ひとは、老いていく中で、どうしても医療と、医療よりも長い期間、介護のお世話になります。

国防であるとか、他国との関係性であるとか、今の日本には対外的な交渉事もいっぱいあるのでしょうけれども、
こんなに、わかりかっている高齢化少子化の問題を抱えている日本に、
それら確定ではない課題を語る資格があるのかどうか、疑問です。

国民の皆様はどう思っていらっしゃるのでしょうか。
今の日本は、「老い」や「死」を見て見ないふりをします。
都合の悪いものには、見て見ないふりをします。
ですから、私が実務でお会いする国民の皆様は、医療の問題や介護の問題にご自分が直面して、
「初めてこんな脆弱な制度でしかなかったのか」と落胆され、
多くの生産人口の貯蓄を切り崩し、医療と介護にお支払いいただきます。

問題の根幹は、高齢化ではなく少子化です。
移民を受け入れ、生産人口を上げる以外にこの問題を超えていく方法がないと思うのです。
私はこの仕事をしていますけれども、
若い方に対しては、高齢者に多額の保障を提供している現状に、申し訳なさを感じ切っています。
私の仕事が、将来あるのか、わかりませんけれども、日本の存続の維持の問題ですから、
私の職がなくなる事で、日本が維持できるのならば、それはそれでいいと思っています。

長くメールをしてしまいましたが、
日本国民のみなさまに、いずれこのような時代が確実に来ることが決まっているという現実を見据えて、
これからの生き方を検討してもらえるきっかけをと思い、メールしました。
知らないで現実に直面する事は、悲しい事ですし、もしかしたら思いもよらない方法論を考えられる方もいるかもしれない。
少なくても、この業界にいる専門職と言われる職種には、この問題に解決方法を持っている方はおりません。

●●様のご意見を聞きたくも思います。

恋文~変身~

真夜中に、誰かに呼ばれたような気がして、目が覚めた。

カーテンをめくると外は真っ暗で、自分がひとりでいる事を思い出した。

 

いつからだろう。

起きて一番最初に、君を思い出す事が始まったのは。

 

僕の消えかけた人生に、君が希望を持っていいんだよ、と言ってくれた。

昔っから、そうなるべきだってことは知っていたさ。

でも、勇気がなかったんだよね。

自分の人生を、暗いものにしておいて、

固く幸せにふたを閉めてしまっていた方が、楽だったから。

前を向いて生きていく強さって、

自分の為にでは、生き始められない。

誰かのために、そして誰かに頼って、僕は初めて勇気が持てたんだ。

もう一度、自分の人生を創ろう、って。

 

幸せになるのに、勇気が必要だなんて、人は笑うのかもしれない。

人が幸せを求める事は、自然にできるものだと決まっているのかもしれない。

けれど、

余りにまぶしい夢をみた後には、暗い洞窟のような場所が居心地いい。

弱くなってしまった心では、明かりのともる方へは歩けないのかもしれなくて、

幸せを求める、その事よりも、過去を生きた自分ばかり、想ってた。

人生の儚さをうたう人しか人しか、信じられない自分がいた。

人は記憶だけで幸せになれる。

誰かがどこかで言っていた。

その言葉だけに、しがみ付いて、泣いていた。

泣けば少しは楽になれる、それだけを信じて。

 

僕を、さっきまでいた洞窟から救い出してくれた人は、

決して強い人ではないんだと思う。

どっちかと言うとね、

弱くて、もろそうで、甘えん坊で、放っておくと心配になってしまう。

そんな、子供のような人なんだ。

器用に、社会に対しては、上手に器用に、生きようとして、

結構さまになる時も、たまにかもしれないけれど、あるみたい。

だけれど、根っこが不器用なもので、随分遠回りして生きてきたような、人。

素敵な人なんだ。

僕にとっては、

その人は、一生懸命生きて、

自分を必死に守って、けれど認められないことの方が多くって、

きっとね、僕なんかよりもつらかったんだと思うんだ。

僕の心は、きしむくらいにその人を助けたがっている。

何もできないのかもしれないけれども、

静かに隣に座って、体を寄り添わせ、同じ時間を生きたいんだ。

神様のくれた奇跡を、大切に大事に、僕のものだけにしてしまいたい。

 

ひとつ。だけ。

その人は、そんな人生を不器用に生きてきても、

自分を生きる事に諦めてはいやしなかった。

諦める事が、過去との契りであると信じる事に慣れ切っていた僕には、

そんな彼女の姿は、圧倒的な強さに思えて。

 

怯えている僕は、何度も何度も確かめた。

恥ずかしかったけれど、その人の前では自分の全部を見せられた。

見せてしまっても、不思議と大丈夫な予感があった。

受け止めて欲しい気持ちよりも、僕のすべてをわかって欲しい、

そう願っていた。

その人は、小さな優しい声で言ってくれた。

「いいよ」

 

 

さっきまで隣で寝ていたように、

あの人を感じるのだけれど、当然姿が無くって。

がらんどうに思える胸を、自分でなでながら。

 

遠くに住む、その人を思って黒い空を見る。

星は、小さいころから見慣れた冬の星たち。

友達のように、つらい時に守ってくれていたように、

今も、まるで僕の為に、けなげに輝いている。

僕は、その星たちに話しかけている。

 

「もう、僕は新しい人生を歩いてもいいんだってさ。

 信じられる人に出会えたんだ。

 けれど、僕はその人のそばにはすぐに行ってあげられない。

 どうか、星たち、その人のそばに行ってあげて。

 そして、僕がその人のそばに行けるまで、見ていてあげて欲しい。

 その為なら、僕はどうなってもいいよ。

 壊れたって、幸せだから。笑って終えられる」

 

願う事しかできないけれど、

願う事ならばできるから。

会えないつらさを胸に収めて、星たちに願い続けた。

 

今、その人はどうしているんだろう。

そんなことを何百回と空に問い続けている。

答えは返ってこなくって、その人を求め続けている自分がいる。

僕は、もう一度生きたがっている。

その人とならば、

自分でも知らなかった自分を生きられる、そんな気がして。

僕だったら、その人を幸せにできる。

そんな思い上がりのような、確信と同時に。

孤独の意味は、自分とその人の距離を感じる事。

いつか、いつか、いつかと、何百回と唱えた言葉に、

本当にいつか、会えた時に、今の孤独の意味は生きる意味に変わっていく。

万感の思いを込めて、伝えたい。

 

 

あらゆる愛しさを、教えてくれたその人へ。

結婚と入れ歯。

結婚と入れ歯は、似ているな、と思う。

 

入れ歯は、どんなに優秀なDrでもそれぞれの歯茎に最初からピッタリ合うものを作れない。

入れ歯が合うには、歯茎の側が馴染んで形を合わせるしかない。

その間、歯茎が馴染むまでは痛みを伴う。

時には、出血する事もある。

 

だけれど、それに耐えた先には、

その人にとって、無くてはならない体の一部に変化する。

歯茎が悲鳴をあげていたはずなのに、いつの間にかその形に沿うている。

 

 

結婚もきっと、同じで。

 

神様は、どんなに優秀な神様でも最初からふたりをピッタリには作れない。

造らないのかもしれない。

苦労や痛みや不安に耐えた先に、

この人でよかった、そんな風に、

かけがえのない存在であることがわかるのかもしれない。

 

お互いの、別々の人生。

それを歩んできた者同士なのだから、最初から嚙み合わないのは自然な事。

苦労や痛みを共に味わい、その経験と歴史を積み重ねて、

お互いは、かけがえのない存在になれるのだと思う。

ひとつとひとつ、お互いが添うている。

 

逆に、

そのような事を試行錯誤しない場合には、

ずっと、なんだか嚙み合わせが合わないなぁ、という我慢をして、

暮らす事になってしまう、のかもしれない。