介護保険に負けた、「福祉」

福祉 には哲学が必要だ。

働く意味。

働くことに疲れたら、

僕には戻れる場所がある。

 

働くということはどういうことなのか、

それがわかったから。

 

働くということは、日々のご飯を食べるためにお金を稼ぐこと。

または、食べるものを作って日々の食事を摂ること。

 

それ以上ではない。

 

確かに、名声だとか、高給であることとか、将来の安心であるとか、

僕も、人も、求めることがあるけれど、

順風満帆なときにはそう思っていいと思うけれども、

本当のピンチとか、勝負に逃げる必要があるくらいに追いつめられたときには、

こういう場所があるんだって言うことを知っているか、知らないでいるかで、

その人の生きる力が、雲泥の差が出る。

 

僕は本当に、

蟻であるとか、昆虫、野原の鳥に学ぶ。

貯金や名声なんて無い。

自分がなぜ虫であるのかという疑問もない。

毎日、餌になりそうなものを鳥は起きている間中探し、日が暮れたら巣に戻る。

これが働くということ。

だけれど、休日もない。

お腹が空かない日がないように、働くということの休みもない。

 

シンプルに、

働くということは、ご飯を食べるため。

そんな場所もある。

 

名声を追いかけると、行き詰まる時がある。

そういうときに、選択肢の多さは必要で、心の余裕はその後の選択をポジティブにする。

最終の砦に生きられる自信、というものをもつと、

大抵のことは、遊びに思えてくるものだ。

父。

あんまり急なお別れだったから、後悔だらけだよ、父ちゃん。

 

たまにしか実家に帰らなかったし、

そんなに嚥下ができなくなっていたなんて知らなかった。

 

たまに帰ったら父ちゃんは俺のことは嬉しそうに迎えてくれたね。

仕事は忙しいのかとか、彼女はどうしているのか、とか、

俺の子供の事とか、

色々心配して聞いてくれたね。

当たり前のことが、父ちゃんのやさしさだったんだってこと、

今、わかったよ。

もっと、ひとつひとつの心配に、きちんと答えてあげればよかった。

少し面倒くさそうに、返事をしていたよね。俺は。

ごめんなさい。

 

俺、

介護の仕事をしてきていたらから、

父ちゃんが息子へ話しかけていたのに、

俺はきちんと息子として父ちゃんの前にいれたかどうか自信がないよ。

まるで、要介護のご利用者の前にいるように、

営業用の声掛けをしていたんじゃないかって、

くどくどと心配事を訴えてくるご利用者への対応のように、

父ちゃんと話しをしていたんじゃないかって、後悔している。

 

父ちゃん。

俺、父ちゃんの前で、きちんと息子としていたかったよ。

 

どうしようもない父ちゃんだったけれど、

俺も、、どうしようもない息子だったね。

 

父ちゃんから教えてもらえたことは少なかったけれど、

その代わり、俺が何をしても、わかってくれていたのは、父ちゃんでした。

自由にやりすぎて、どうしようもなくなった時に助けれてくれたのは、

父ちゃんでした。

 

もっと、

きちんと、父ちゃんに向き合って、

きちんと、父ちゃんの息子でいたかった。

いつか、俺には父親がいないから親父はどうすればいいかわからないんだって、父ちゃんは自分の事を言ってたね。

 

遅くなったけれど、

俺は、そんな父親でいてくれて、幸せでした。

これからは、

少し距離があるけれど、きちんと息子として逢えたらいいなと思います。

 

息子と話したがっていた父ちゃんなのに、

素直に息子でいられず、強がりでしか話しをすることができなくて、ごめんなさい。

 

ありがとう、

きっと、いつもいつも、心配してくれていたんだよね。

実は、

俺、父ちゃんが大好きだったんだって、今、思ってます。

認知症の方の援助の難しさは。

ユマニチュード、という流行の援助方法があるらしい。

個人的には、古くから実践されてきたものを体系化しただけの、

特に真新しい援助方法でもない。

 

当たり前と言えば、当たり前で、

認知機能が低下している方に対しては、

言語的なコミュニケーションよりも、

仕草や表情、触れ合いの方が「動物的に」理解できるということだと思っている。

言語を解釈し認知するよりも、感情優先になる時期では動物的な感覚の方が伝わるに決まっている。

 

僕はユマニチュードという援助方法の、さわりしか知らない。

さわりも知らない。

雑誌の2ページくらいを読んだだけだから。

だから、未熟な解釈で批判しているだろう。けれど、きっと深く学んだとしても、

援助方法には、真新しさはない。

これからも、ずっと。

相手が人間である限り。

 

認知症の方に対する援助において、最も難しいのは、

ご利用者への援助の仕方ではなくって、

援助者自身の、心がけ、配慮、思いやりだ。

 

「トイレの扉を閉めていますか?」

「声掛けして介助を始めていますか?」

認知症の方に失礼な事をしたら、謝っていますか?」

きちんと、

「相手はわからない人だから、という油断と戦えていますか?」

 

相手はもしかしたらわからないかもしれないけれども、

それをしなかった、手を抜いた自分は、それをしなかったという事を覚えている。

2回目からは、少し葛藤して諦められる。そんな自分に少し引っかかる。

3回目には、簡単にそれをしない自分を許せる。

4度目には、それをしたってなにも心に引っかからなくなる。

 

「誇り」

何度も何度も失敗して反省しても、自分に問い続けるしつこさ。

愛情とは、相手を理解しようとする事、できなくても、理解し続けようとしてしまう、さが。

 

 

医療と介護の連携という無機質な言葉。

それぞれの専門職がクライエントの生活の質へと有機的に関わっていく姿こそ、現代の専門職連携ではないだろうか。
「有機的」とは、常に、時間とともに、時に逆行し、揺れ動き続けるあいまいさを維持した、固定や固着しないモノを言う。

お互いの分野を、役割をきちんと捉え、上手に頼り合い、キャッチボールをする事でリズムが生まれる。
単なる情報の提供と専門的な技術の依頼であれば、仕事をした気にもなるかもしれないけれども、それはあくまでも過程であって、手段の途中でしかない。
それぞれの専門職が判断したその人の生活の質を底上げするという目標への道程の進捗状況と再アセスメントを、不断無く繰り返すこと。その先に、個人の生活の幸せがみられるような統合感。
誤解を恐れずに言えば、各専門職はバラバラにその個人をアセスメントし目標を設定してもいい。
常に揺れ動くその人自身の持つ固有の目標を察する能力を磨いてさえいれば、「生活の質を高める」という山の山頂への道は何通りもあれども、たどり着く点は、山頂という一点に集結する。
サッカーで言うならば、監督からの指示ではなく、常に状況の変化する試合の中で各個人のプレイヤーが場面を判断し自分の持つ特色を発揮する。というようなこと。
ジーコ監督が目指したような、古いけど。
トップダウンでもボトムアップでもなく、右にも左にも傾くことのできるフラットな関係。
で、
これができなかったから、ケアマネジャーとかいう人が、時に本人の代弁者という形で現れる価値があるんだろう。
う~ん、<未完>

家族の思いの、尊さと。

最近、ターミナル期に関わらせていただく事が増えた。
とある日、初回アセスメントにてガンの末期と診断され自宅療養されているご本人とご家族にお会いする。
訪問すると、ご本人は寝ているとの事。
そこで、まずはご家族と日ごろの療養のされ方などを尋ね、情報を確認する。
あらかたお話し終えたころに、ご本人が起きた様子とご家族から教えてもらい、
ご本人にお会いするが、けだるそうに頷き挨拶をしていただけた程度であった。
.
なんとなく、飾られていたカレンダーに目をやると、
急速に体調が悪化してしまったという10日前くらいの日付の所に、
「 お父さん、早く良くなってください 」
という別居されている娘様らしき、筆跡。
.
自分の姿勢が、問われる。
大勢の中の一人として、さっきまで対峙していなかったか。
年末の、慌ただしい一年中で最も忙しい時期の訪問に、気のゆるみや焦りがあったのではないか、
.
訪問を終え、玄関を出た外はすでに暗くなっており、
冷たい風が相変わらずふいている。
「 なにができるか? 」 って、考えながら、
携帯電話を取り出した。
.
あるような、うその話。

老いを支援する、力。

日ごろ自分たちが「老い」という自然な現象に包まれたクライエントと対峙している。

老いは疾患ではなく治療の対象になり得るものではなく、不可逆的な進行性の状態である。

老いに伴って、誤解を恐れずに言えば、人は得るものよりも失っていくもののほうが多い。

若さを憧れ、若さだけで「あなたはいいわねぇ、若くって」というクライエントの言葉は、臨床家や援助者ならば多く聞かれる言葉であろう。

確かに、思想的には得るものもたくさんあると「教えられる時代」である老年期において、

事実は「失い続ける時代」であるともいえるのかもしれない。

少なくとも、そう思っている人と、僕は多く出会ってきた。

 

僕が、最近の関心ごとは、この治る見込みのない状況にあるクライエントに対して援助し続けるという難業は、

どういう動機から継続する力が出てくるのだろうか、というどうしようもない疑問である。

仕事として継続できるということは、何かしらの有意義さを感じているはずである。

それは、

達成感、恍惚感の一般は、「物の完成」「研究の成功」「事業の成功」つまり、

行動による結果に満足するという、具体的もしくは顕在的な事実によって体験されている。

しかし、援助者のそれは、上記のようなわかりやすい事柄として現れたと思えたことは、あまりない。

援助者から「ありがとうの言葉が何よりもうれしい」と聞く。

それはやりがいであると聞く。

しかし、そのクライエントはいずれ自分たちよりも先に「逝く」ことが自明である。

 

人生の終末時期に、そのクライエントに沿い続けられること。

そのために、援助者として何がその続けられる力になり得ているのか、関心がある。

 

老いに対して喪失感に包まれている。

治らぬ病気に対して悲壮感に包まれている。

そんな人々を目の前にして、何もできない自分に強い無力感に襲われる。

こんな人がいた。

そんなように、人の介助がないと動くこともできないクライエントが、

いつもの介助を行ったら「ありがとう」と言ってくれた。

僕は、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

なぜに、ありがとう、なのだろう。

あなたはできない、わたしはできる。

だから、わたしのできることを、あなたに提供する。

至極自然な動機だし、特別なやさしさでもない。

あなたの言った「ありがとう」は、あなた自身が老いという障害を負って、申し訳ない気持ちでいる証左でもあるんだろうか。

そうだとしたら、そう感じさせているのは、僕ら「老いる前の存在」なのだろうか。

 

何も格好つけることを言いはしない。

なぜ、援助者は「老い」や「不治の病」と対峙するクライエントを前に、

援助を提供し続けられるのか。

それは、「困っている人が目の前にいて、放っておけないから」という、

まったく科学的でもない、ノウハウにもならない、精神的に救いにもならない、

惰性的な慈悲の連続に、あるんだと思う。