過ぎた出来事の中にこそ。
僕は、あの頃をいくつも背負い、抱えて生きている凡夫だけれど、
幸せを知っている、ただの凡夫になれたのかもしれない。
今が、どんな姿であろうとしても、
あのとき、こうしていれば、とか、
今を嘆いて後悔して、できることなら、その、あの頃に戻りたいという、
強く、儚くても強烈な気持ちを、抱いていない。
いつからか、
いつも、今が一番幸せに思えるような、気持ちでいる。
あの頃の自分の幸せを、大事にするために。
心のなかで生き続ける、様々な思い出を抱いている今が、
今が愛しい。
この間までは、
僕のこんな気持は、今の自分を作ってくれたのはあの頃の出来事たちだから、
こんなふうに思うんだろう、なんて思っていたけれど、
それは少し違っていて、
あの頃たちは、今の自分の心の中に、しっかりと生き続けているからこそ、
あの頃に戻ってしまうということは、
今の心のなかで生きる事柄たちを、変えてしまうことになってしまうのだろう。
本能的に、そう思えていたからなのかもしれない。
後悔を、知らないわけでは、もちろんなくて。
どうしようもない、果てのない暗闇の中もあるけれども、
その中で見えていたものが、時間はかかったけれど輝くこともある。
それを分かれたから。
ごまかすことなく生きる強さを、
弱い自分を悔い続けるのではなく、背負い抱え歩く覚悟に変えて。
一歩の歩みは、とても歩幅が狭くのろくとも、
背負っている、抱えている、事柄たちに、
今も、将来も、助けられ、その事柄たちの中で生き続けられること。
幸せは、
常に、伴走してくれていて、
本当に疲れたら、背負った事柄を地面に降ろし、
その事柄たちの中に、微笑みと一緒に生きればいい。
楽しかったことも、つらかったことも、今つらいということも、
すべて、
幸せの中に、きちんと優しく揺れている。