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介護保険に負けた、「福祉」

福祉 には哲学が必要だ。

施設介護についての意見-3

ユニット型施設に勤める職員は、孤独だ。

 

ユニット型施設の成り立ちについては、以前書いたようだと俺は認識しているけれど、

あくまで、それは、そのシステム、ハードを真似たもの。

そこで働く職員のモチベーションまではコピーする事は出来ない。

ユニット型施設もそうであるように、人手に余裕はあまりない。

新人や新入職者が入ってきて行われる研修は、そのほとんどはOJTだろう。

そのOJTでさえも、新卒では長くて3か月、経験者では数週間もあれば長い方ではないだろうか。

そこで、一人でそのユニットの日勤帯ないし2ユニットの夜勤帯を任される。

特に新卒者にとって、これは不安以外の何物でもない。

仮に、体調不良者が出た場合の判断は自分だ。

日勤帯であったら看護師がいてくれるであろうけれども、体調が悪いと判断できる存在は自分だけである。

看護師に連絡をするべきかどうかの判断は自分の責任であるし、

それ以前に、利用者の異変に気付けるかどうかは自分の能力に掛かっている。

新卒者にとって、これは不安以外の何物でもない。

そして当然に、転倒や体調不良発見の遅れが発覚した場合には新卒者に原因追求の任務が課せられる。

「事故報告書」という形で。

転倒事故などは、その原因を把握する事も難しいし尚更改善方法なんてなかなか無い。

 

もう一つの、孤独が招く欠点に、

「自分の時間帯で、ここまで終わらせておかないと、次の人に迷惑がかかる」

という、無言のプレッシャーだ。

 

昔から、「オムツ交換、入浴介助が早い」という事が介護職員のステータスである雰囲気がある。

まぁ、それだけ現場は忙しいから周りを助けてくれる職員としての勲章なんだろうけれども、

とりあえず「その人らしさ」を追及しているユニットケアとは矛盾している。

新卒者にとって、先輩は怖いでものであるし次の段取りができているかどうかで、

自分の評価が変わってくるとなると、

決まり切ったルーチンワークを人並みにこなすことが目標になる。

これは絶対に、そうなる。

「だれかれの時は、いつもオムツ交換が終わってない」

「誰々の時は、食事介助が全然途中で、後が大変」

正直、俺は比較的堂々と

「ごめん、今日は飲み込み悪くて~~さんまだ食事終わってないよ~」

って、言えたけれど、それって経験者の余裕だったり立場だったりで言えたわけで、

正直、休憩上がりの先輩(同輩や部下でも)から、

「あー、ここまでしか終わってない」という無言の「使えな~」という表情は相当堪える。

 

今後も、仲良く仕事をしたいから。

今後も、波風立てたくないから。

陰口で、あの人の後ってきついよね~ と先輩が言っているのを聞いて自分もそう言われたくないから。

あなたの後は助かるわ~。

仕事早くて、あの人の勤務の日は助かる~。

って、今後も言われ続けたいから。

 

俺は、この感情を全く否定しない。

「当然の感情」だから。

それに、やはり介護技術がうまい人で非常識に仕事が遅い人はいない。

これも事実の側面だから。

 

このユニットを、一定時間一人の責任ですべてを任されるシステムというものは、

利用者のペースよりも、職員のペースを優先する傾向にならざるを得ない。

一方で、

転倒しないように目を配る、

体調不良に気付けるように観察の目を向けられる。

そんな専門性には、介助者の精神的な余裕がどうしても必要であるけれど、

休憩上がりの職員さんの顔色、

早番や日勤が出勤した時の顔色、

それを考えると、専門職としての観察力は後回しになる精神状態に、

「人間だったら、なる」

 

10人を一人で見る事はつらい。。。

20人を二人で見る事は、これ程にはつらくない・・・

 

20人を二人で見た場合には、

新卒者は、遅くて当たり前だともう一方の先輩に思ってもらえる。

先輩だって、今日は新卒者だから張り切らないと!と気合が入る。

頼りになるなぁと後輩に思ってもらえるチャンスだから。

 

ディスポを付けた手で、排便処理をしている時にナースコールが鳴る。

センサーマットの転倒のリスクを知らせるコールが鳴る。

そんな時に

「もう一人のあの人が、対応してくれるかも♪」という希望は、

介助者の安心に、、、利用者の状態把握の源泉になる。

 

ユニットケアとは、

「個別ケアの追及」「その人らしさの追求」「認知症の方の安心」「個室という人権」を、

厚労省は唱えている。

しかし現場は、それを行う余裕はない。

そんな現場に、最も理想に燃えた新卒者は投げ出され、洗礼を受ける。

事故はない。

大きな体調不良もない。

普通が段々と重なり、新卒者も普通の職員のスピードに慣れてきたころ、

現実が優先し、こうしたいという志は奥へと引っ込んでしまっている。

人によっては、「こんなはずじゃなかった」と、

甘ったるい事(責められんけど)を言って、辞めていく。

 

学校出てわずか数か月で、10人を任さられ、

先輩からの「臨機応変さ」「観察力」「精神性」を目で見ていない、

急造された「介護職員もどき」が、本人も気付かずに一人前になろうという経験数を数えるに至る。

「個別ケアの追及」以前の「個別ケア」もできない職員が、発生する。

 

「胃瘻から、どうやって口腔摂取に戻せるかなぁ?まだ駄目かな」

「歯ブラシ介助だけど、手が動くんだし自立を目指せないかなぁ」

「オムツから、ポータブルトイレ、そしてトイレへ連れて行ってあげたい!」

「便秘だから、朝の同じ時間にトイレに取り合えず座ってもらおうよ」

「移乗介助の、できるところはやってもらう。私の場合楽だよ。」

「とろみをつけるタイミング、そろそろかなぁ、でもみんな言い出さないし。。。」

「食欲低下だって、口腔内の異常、義歯の状態、排便状態、食事形態の確認、内服薬の副作用の可能性、抑うつに繋がる面会がなかったかって、みんなは想像する力あるんだろうか」

・・・・・・・・・・・

 

雑誌に載るようなユニットケア認知症実践者研修の施設の美談、

利用者が掃除をしていたり、

利用者とお料理したり、

ユニットにご飯の匂いがする生活感、とか。

 

そんなことよりも、基本的な人間性の回復の為にも、

「個別ケアの追及を追及するよりも、普通に個別ケアのできる職員」

であってほしい、、、

かった、けれど、

 

俺は、それをユニット型施設ではできなかった。

新卒以前の、無資格であった彼のオムツ交換の仕方を、当時ユニットリーダーであった俺は、見たことがない。

二番手の後輩に確認し「大丈夫でしたよ」の言葉でGoサインを出した。

いや、何度かあったか。それも最初の最初の頃に。

 

ユニット型施設は、人を育てられない。

言葉がすべて。それなのに交代勤務の激しさで他職員と会う事も少ない。

本当は、言葉にできる事なんて、大体がそんなに大事じゃない。

利用者を思う気持ちであるとか、

老いる悲しみであるとか、

施設に入所する立場の苦しさであるとか、

利用者の悩みに傾ける先輩の姿とか、

見て感じてもらうしかない領域の「福祉」が、教えてあげられない。

 

「俺を見てもらえないのに、何を教えるんだろう」

 

--------書き疲れた・・・-------

 

***続く***

のかな??あんまり考えたくないわ。。。