介護保険に負けた、「福祉」

福祉 には哲学が必要だ。

父の初盆にあたって。

今日は会社に休みを取り、お墓参りに行って実家に行きお線香を上げた。

久しぶりに見る、父の顔は、結構イケメンであった。

 

「俺が死んだらこれを遺影にしてくれ」と準備されていた、それは、今見事に遺言のとおりに仏壇に飾られ、僕らを見つめている。

 

日常の、仕事や家事という大事な雑用に紛れて、

もっときちんとしたお別れとか、きちんと悲しむとか、きちんと感動するとか、きちんと喜ぶとか。

気持ちの変化を味わいながら、生きていきたいと思う。

 

一つの訪問を終えて、涙を堪えながらバイクの運転をして次のクライエントの家に向かう。

今にもきっと泣きそうな顔をした、気持ちの悪い中年オヤジの姿であろうに。

 

次の家につくと、間もなく笑顔で冗談も交えて会話をする。

 

心が、宛もなくさまよい歩き始めているんじゃないだろうか。

行き先もない、置いてけぼりの、感情の涙は、いく粒でしょうか。

 

もっときちんと向き合いたい、と思いながらも、

忘れてしまった、感情は、どれくらいでしょうか。

 

父が「おまえはよぉ」って、言っている。