介護保険に負けた、「福祉」

福祉 には哲学が必要だ。

季節の到来。

あの、君と初めてであった季節がまた来ようとしている。

 

初めて君の顔をみて、僕の心はいっぺんに君の色に染まった。

僕の人生に、こんな瞬間が来るなんて信じられない気持ち。

 

君は淡い、紫色だった。

とても可憐で、どこかミステリアスだった。

清楚でもあって、それでいて女性らしく艶っぽかった。

僕はきっと、そんなとき、

君の隣にいると君を引き立てさせることができるような、色をしていただろうか。

雪が降り出しそうな、グレーの空。

すべてのものが、ひっそりただひたすらに耐えている世界の中で。

 

白いコートを羽織っていた君は、

同じくらい白い顔に、うっすらピンク色をした頬の横顔をして、

急に僕に、何かを語りかけた。

うっとりするくらいに、素敵な、声で。

 

君を待っていた時間のせいで、

とっくにかじかんでしまった手を、気にしながら。

君は恥じらうこともなく、あたりまえに僕の手を握った。

はえらく不釣り合いではないか、そんな事に気を取られて、

君が思い切りの笑顔を僕にくれていたことに、気づかなかった。

 

やさしさとか、おもいやりとか、

あまり語り合わなかった時間が、過ぎていた。

朝の慌ただしさも、当たり前だったし、

僕らの忙しさも、二人のいる時間の普通だった。

いつしか、こんな当たり前の時間の中に二人はいれたんだね。

 

ぼくのため、きみのため、だれかのため。

将来があるから、僕らのどちらかが弱いから。

ふたりのなかに、そんな理由を探すこと自体が不潔なようで。

ただ、時間というものだけが過ぎていったのだ、と思うことこそ、

いまの、静かになった朝のくりかえしに、しっくり来る返事だ。

 

世界は、やさしく、

朝を僕にくれて、夜を僕に溶けさせてくれている。

白いコート。

淡い紫の色。

うっすらしたピンク色。

グレーの寒波に、君の姿はなんて、かけがえのない。

 

時間が過ぎたんだ。

じかんがすぎただけだよ、って。

 

千や万の理由なんて、全てウソになる。

理解をするなんて、滑稽な偽物になる。

あたりまえに、お互いを必要としていた時間だけが、

「 僕は、すべての時間の中で、君を感じられる 」

 

僕は、青色になった。

うっすら水色がかった、青色だ。

 

 

AIを否定はしないけれど。

人工知能の、現在と未来。

 

なんて、もう古いのだろう。

 

人のやることだから欠点もあるし、便利という不便もあるんだろうし、

 

人工の知能を必要とするほど、人間の生活は複雑化したんだろうか。

って、思う。

仮にそう、複雑になったのだ、としても、

その複雑系の社会に、人の幸せがあるんだろうか。って。

 

今の社会は便利で、

だけれど、便利になるためのツールはいつも最先端で付いていくことに辟易する。

iPhone、直感的な操作なんて、素晴らしいツールであるけれども、

このツールができたおかげで、人の時間の消費と欲望は増したと思う。

便利や刺激を求めてやまない社会というのは、

まるで原子力発電のように、使い物にならなくなった後の処分の仕方がわからない「シロモノ」のようだ。

 

貧しすぎてシンプルな暮らしは、豊かさと刺激を求めて、

複雑さと24時間動き続ける社会は、静けさと温泉を求める。

 

お金で動く社会に守られながら、

お金の奴隷である生き方を否定したい、と思い続ける。

 

こんな、矛盾、と。

愛の定義は統計的な把握はできても、それを感じることは、

人間にできても、コンピューターにはできない。

 

なぜなら、愛を感じることというのは、

人間の有限性と、矛盾の存在の儚さ、時間とともに変化する無常。

そして、それらどれでもない時間軸の中に、愛を感じていくのだから。

 

重ねて言うと、

人は、人工の知能を必要とするほどに、完璧さを必要なんだろうか。

ただ、生きるのに、必要だろうか。

 

AIをディスっているんじゃなくって、

逆に、無責任に、欲望と興味、止まれない新しい物好きな人間の佐賀のために、

ソレだけのためにであるのなら、

そんなのに生まれされるコンピューターがかわいそうだと思うから。

 

同時に、

そんな、おろかで賢い、人間というものが、なんとも未熟で完璧に人間らしく歯止めなくしょうがなくって、

愛しい気持ちにもなる。

 

 

「すべての時間の中で、僕は今を生きている。」 By 市川拓司氏

小説、「こんなにも優しい、世界の終わりかた」を読んでいる。

初々しい、恋愛小説であるんだけれど、

好きな人をあまりに好きであるばかりに、自分を卑下してしまう。

結果、自分の感情を相手に伝えることも、

結果、自分の感情のままに行動することも、

それは、相手を、恋する人を、汚してしまう、陥れてしまうことになるのではないだろうか、

という、恐れに、純粋さ、青春さを感じつつ読み進めている。

 

経験の多さだけで、大人になったのだとは思わない。

けれど、

ひとつの出来事を、真剣に感情を振幅されて迷い、悩み、行動し、沈黙し、

思いやり、正義とは、正しいとは、自分とは、あの人は、と。

 

大事に、一生懸命忘れずに正面から、向き合い逃げることはしなかった。

 

今までの、すべての時間を、

人並みに忘れ、記憶していることは記憶しながら、生きている。

 

大事なこと、真剣であったこと、真剣な気持ちをいただいたこと、

そういうことは、必要なことは覚えているはず。

そんな、時間の中を生きていた。

思い出という形にはなるのかもしれないけれど、

思い出の中に生きる僕は、今を生きる僕と何ら変わらない。

 

今の僕は、成長したのかもしれない。

その分、成長した分、捨ててしまったもの、見えなくなってしまったものもある。

けれど、思い出の中で生きようと思いでの中に埋没する時間の時、

僕は、どの時間の中でも生きられる。

 

「強さ」なのかもしれない。

「弱さ」なのかもしれない。

 

ただ、「すべての時間の中で、僕はいまを生きている。」

 

 

 

 

父の初盆にあたって。

今日は会社に休みを取り、お墓参りに行って実家に行きお線香を上げた。

久しぶりに見る、父の顔は、結構イケメンであった。

 

「俺が死んだらこれを遺影にしてくれ」と準備されていた、それは、今見事に遺言のとおりに仏壇に飾られ、僕らを見つめている。

 

日常の、仕事や家事という大事な雑用に紛れて、

もっときちんとしたお別れとか、きちんと悲しむとか、きちんと感動するとか、きちんと喜ぶとか。

気持ちの変化を味わいながら、生きていきたいと思う。

 

一つの訪問を終えて、涙を堪えながらバイクの運転をして次のクライエントの家に向かう。

今にもきっと泣きそうな顔をした、気持ちの悪い中年オヤジの姿であろうに。

 

次の家につくと、間もなく笑顔で冗談も交えて会話をする。

 

心が、宛もなくさまよい歩き始めているんじゃないだろうか。

行き先もない、置いてけぼりの、感情の涙は、いく粒でしょうか。

 

もっときちんと向き合いたい、と思いながらも、

忘れてしまった、感情は、どれくらいでしょうか。

 

父が「おまえはよぉ」って、言っている。

 

 

 

メルカリにハマる。

実は最近、メルカリにハマっていたりする。

と言っても、何でもかんでもというわけではないんだけれども、

結構高いブランドのバック(メンズもの)を買っていたりする。

比較的きれいだし、お安いし、日本ならでは、で、相手も信頼できる。

 

真面目な国民性って、これが当たり前なんて思っているけれども、

外国ってどうなんだろうか。

メルカリだったかな。

違うとしても、これと似たようなシステムのアプリが外国にもできたと聞いた。

それは、発展しているんだろうか。

 

ウーバー、だったっけ。

民間タクシーに関してだって、実は日本のほうが普及しやすい国民性であると思うけれども、

これはウーバーの運転手にはなんの社会的な保障がないという点で、日本人には毛嫌いされてしまうだろうな。

 

 

介護と、ビジネスの融合点を模索している。

なんか、面白いことができないだろうか、と悶々としている。

それほど必死に考えているわけでもないのですけれど、忘れないように、というか忘れられるはずもないのだけれども、

常に頭の片隅に置いておけば、何かの拍子にヒラメクこともあると思う。

 

発明と言うと大げさなんだけれど、イノベーションというのは、

思考の6割以上を常に占めている者へ与えられる、ヒラメキであるように思う。

という事は、イノベーションは、日常生活の当たり前の生活動作や思考の中にある要素と、融合してイノベートされるということの証左でもある。

 

って、書いてみる。

自分は自分のために、生きづらい。

と、あるところにも書いたのだけれども、

 

簡単に言ってしまうと、人間は自分のために生きるということは難しいな、と思う。

もう少し言うと、

自分のために生き続けることは難しい、と思う。

 

例えて言えば、

今日、肉料理ばかりだから野菜を食べよう、とか。

最近運動不足であるから、運動を習慣にしよう、とか。

 

「なんのためにそれをするの?」という問いに、

「自分のためだよ」って応えることは容易いけれど。

それをずっと続けるという努力は、自分の自己満足だけでは終了してしまいがちだと思う。

 

「なんでそんなことを、毎日飽きもしないでやっているの?」

「僕には大事な人がいるんだ」

本日、友人が来訪し、引っ越しの荷物を預かって欲しいと。

僕はなんとなくわかるように、友人が極端に少ない。

親友である友人は一人しかいないし。

逆に、それ故というわけでもないのだけれども、

その友人とは信頼しきっている。

 

その友人が実家を建て替えるということで、

ある程度の荷物を預かって欲しいとの事。

もちろん了解し、空いている2階の真ん中の部屋に置くことにした。

 

久しぶりに、親友の奥様も一緒に来て、

何年かぶりの歓談を楽しんだ。

 

何年か振りに会ったとは思えない程度に昔も今も自然に簡単に打ち解けてしまって、

そんな友人の奥様であることが、嬉しい。

 

これからも、僕はきっと友人は少ないであろうけれども、

この大事な親友は、大切にしていきたいと思う。