なんにも無いと思える過去の、使い方。
仮に、なにもない時間をたくさん使ってきたとして、
その過去を意味あるものへ変換できる方法というか、そうなってしまうことがある。
それは、人として成長することだと思う。
視野を狭く時間を使ってきたとしても、
今とこれからの時間で視野を広く知見や経験を通して自分の価値観や職業的アイデンティティが確立されると、
以前の意味のないと思えた時間たちに、意味があったことを知るということもある。
よく、意味のないことなど、人生にはない。
というけれども、本当に意味のない人生になりえてしまうこともある。それは、
未来においてまで、現在の視野に留まってしまい現在以上の考え方や思想を持てなかった人の、姿に思う。
今と未来において、
精神を研ぎ澄まして経験する事象から導かれた思想を持つに至れば、
過去の無為な時間たちにも意味が生まれてくる。
だから、意味は必然としてあるのではなくって自らが積極的に造っていくものである、という証左、かもしれない。