認知症の方の援助の難しさは。
ユマニチュード、という流行の援助方法があるらしい。
個人的には、古くから実践されてきたものを体系化しただけの、
特に真新しい援助方法でもない。
当たり前と言えば、当たり前で、
認知機能が低下している方に対しては、
言語的なコミュニケーションよりも、
仕草や表情、触れ合いの方が「動物的に」理解できるということだと思っている。
言語を解釈し認知するよりも、感情優先になる時期では動物的な感覚の方が伝わるに決まっている。
僕はユマニチュードという援助方法の、さわりしか知らない。
さわりも知らない。
雑誌の2ページくらいを読んだだけだから。
だから、未熟な解釈で批判しているだろう。けれど、きっと深く学んだとしても、
援助方法には、真新しさはない。
これからも、ずっと。
相手が人間である限り。
認知症の方に対する援助において、最も難しいのは、
ご利用者への援助の仕方ではなくって、
援助者自身の、心がけ、配慮、思いやりだ。
「トイレの扉を閉めていますか?」
「声掛けして介助を始めていますか?」
「認知症の方に失礼な事をしたら、謝っていますか?」
きちんと、
「相手はわからない人だから、という油断と戦えていますか?」
相手はもしかしたらわからないかもしれないけれども、
それをしなかった、手を抜いた自分は、それをしなかったという事を覚えている。
2回目からは、少し葛藤して諦められる。そんな自分に少し引っかかる。
3回目には、簡単にそれをしない自分を許せる。
4度目には、それをしたってなにも心に引っかからなくなる。
「誇り」
何度も何度も失敗して反省しても、自分に問い続けるしつこさ。
愛情とは、相手を理解しようとする事、できなくても、理解し続けようとしてしまう、さが。