介護保険に負けた、「福祉」

福祉 には哲学が必要だ。

施設介護についての意見-4

まぁ、前回書いた内容的な事は、全て三好春樹さんとか高口光子さんなどが、

既に主張している事なので、結構有名だったりする。

 

ユニットケアという幻想―介護の中身こそ問われている

ユニットケアという幻想―介護の中身こそ問われている

 

 これに書かれていない項目として、

◎ 要介護状態の区別なしに、入居している現実。

というものもある。(さらっと眺めただけの本だけれど確か書いてなかった)

 

特別養護老人ホームという、在宅では支えきれなくなった利用者を受け入れる施設において、

ユニットケアを行う事は、無意味に近い状態になりやすい。

重度の認知症であったり、意思の確認が困難な利用者に、

ユニットケアの目指す「その人らしさ」を実践するには、本人の「こうしたい」という希望が聞く事ができない。

 

ユニットケア先駆的施設で行われている、

「起きる時間自由」

「食事時間自由」

「入浴時間自由」 とか。。。

ご本人の意思を確認できない場合、

教科書的には生活歴を鑑み、ご家族や介助者が代わりに意思決定する、という。

けれど、

現実には人手のない夜間帯に入浴介助を行おうとは、できるはずがない。

自然とルーティンワークのしやすい時間帯で行っていく。

特別養護老人ホームの使命として、重度の介護を要する状態の方が優先して入居する。

おひとりでは体を動かす事も出来ない方が、個室でベットに横になっている。

「一人の部屋で、テレビだけがついて、上だけ見ている。」

 

「人は食堂に出てきて窓の外を見るものだから、リビングの中央側に車いすを向けているのはおかしい。窓の外を見る方が自然。」

と、窓の外に向けて車いすが向けられた。

1時間半、そのままだった。

「おかしい」だろ、これ。

介助者からは、その方の背中しかみえないのに、

自分から発語ができず、意思表示ができず、車いすを動かす事はもちろんできない、

そんな障害のある方を、長時間背中しか見えない姿勢に置く事は、おかしい。

 

もちろん、程度の問題なんだ。

 

だけれど、気持ちの無い「ユニットケア」は、

その「良いというケア」 自体もルーティンワーク化する。

だから、先の非常識な事態が行われてしまう。

 

だから、まずは人間としてどうなの、という基本的な事なんだ。

基本的な事をできる、基本的な介護ができる事から、始まるんだから。

介護は、オムツ交換や入浴介助、食事介助ではない。これらは「介助」の事。

介護は「人間性の回復」の事。

 

小難しく言うと、

「職員を「介」して、人権を「護る(まもる)」のを、介護」という。

と、思う。

これは、看護職には無い思想なんだ、よ。

看護師の方が給料もいいし、立場も上の現実だけど、

自分の体を使って、利用者の人権を護る事は、介護職しか専門家ではない。

 

個室。

閉じられた人間関係。

過密な交代勤務。

過酷なストレス。

それを無視する為の人間性のマヒ。

3年経験しても、通算数十人の利用者しか経験していない。

 

いい点もある。

だけれど、ここまで口を酸っぱくして思うのは、

税金で優遇されているくせに、

値段は有料と同じくらい高いし、

ろくな介護していないし、

職員は育てられずダメになっちゃうし、

理想を追い求め続ける事が大事なのに、それを諦めさせるにはもってこいの条件が、

ここまで揃ってしまっているのが、ユニット型施設だから。